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JASRACとMicrosoftたちの横暴な著作権

掲載日: 2020年3月5日更新日: 2020年3月6日

JASRACとMicrosoftたちの横暴な著作権
判決を受けてジャスラックが音楽教室から樂曲使用料を徴収しようとしている.
私は音楽の将来に禍根を残す行為と考える.
なぜならすべての著作権の使用料徴収はどの分野であろうとも世代間の不平等だからだ.
あなたはどのように考えるか教えて下さい.


音楽教室は演奏者を育て、そして作曲者、作詞家を育てている.
将来の音楽家や演奏者の卵たち、ヒナたちが楽曲使用料を、前世代の老獪なオオカミたちに奪い取られるのだ.

それが楽曲使用料だ.
楽曲使用料の利益は有名な作曲家、すでにプロとなった、登録された音楽家に支払われる.
ところが、登録以前の成長中、育成中の音楽家、演奏家に及ぶ利益が無い.
著作権からは現代に演奏機会の減少した流しの演奏家にも、機会を回復するチャンスどころか利益すら無い.
ジャスラックには音楽文化を隆盛に導くという大義名分が実行されていない.
音楽の将来にジャスラックの存在が禍根を残すとさえ思う.

たとえば特異な素質と覚醒剤と麻薬と男色で奇行の有名な槇原敬之はウィキペディアによると「高校在学中の16歳時(1985年)、坂本龍一が当時担当していたNHK-FM放送の番組『サウンドストリート』のデモテープコーナーにHALF」という楽曲を応募し絶賛を得て、番組では異例のフルコーラスが放送された。」ことから見いだされ芽が出た.

でも1等賞、一位の槇原隆之だけが音楽家だろうか、次点、入賞できなかった者たちにも、またコンテストや投稿の手段を取らなかった音楽家もいるだろう.かれらにも音楽家の素質はある.
彼らには出世できずジャスラックから収入できぬ人物も多かろう.
著作権は不公平で利を強者にばかり与えている.

そして音楽家のエド山口は漫談に同じフレーズ、同じリズム、同じメロディーの楽曲の数々に著作権問題のある事例を多数実演してみせている.
彼の漫談に世代間の不平等の存在が多いと表れているのだ.

僅かな時差で同時に生まれたと言える楽曲に対しても、世代が離れて生まれた楽曲に対しても、ようするに著作権とは前世代が、成長前の世代を邪魔する仕組みなのだ.

したがって結論として音楽文化に著作権の法律は世代間の不平等を生み出している.


マイクロソフトの著作権にも世代間の不平等がある.
周辺機器やソフトウェアやデータの培った価値がマイクロソフトの行動で一瞬に無に帰す.
マイクロソフトはその権力を使って、同期に他人が蓄えたソフトウェア資産の利用価値を奪い取り、周辺機器に培った技術と産業と彼らのデータをごみにしてしまう.
マイクロソフトの著作権を利用した仕業は文化全体の衰退と世代間の不平等を生み出した.

果たして著作権は必要な権利だろうか?

アメリカに日本人が旅行できぬ時代に、特許申請の楽なアメリカへ行き、抜け駆けの特許を得たものがいる.
当時私は4歳から5歳のころらしい.
年端の行かぬ私には不可能な利益を彼は不平等に得たのだ.



私は熱帯魚の水槽の掃除に水を掻き出そうとサイホン現象を利用しているのをみて、原理を聞いた瞬間にその特許と同じアイデアを叔父に進言した.
誰でも思いつく4歳でも思いつくのに特許になってしまったのだ.

その次にレコード盤から一生懸命埃を拭ってレコードプレーヤーに載せるのを見て、ジャケットに穴をあけ、その穴から綺麗にしたレコード盤にピックアップを載せようと家族に進言した.
これもまた同じ人物が巨万の富を得た特許だが、だれでも考えつくし、世代間の不平等の事例だ.

幼稚園に私が通う前の話だ.
日本橋人形町(芳町)の家の並びに当時モグサ屋、モグサの卸問屋があった.
モグサ屋の数名が縁側でお灸のやけど跡がつくせいで、これからはモグサの商売が廃れそうだと嘆いていた.
これを聞いた当時4,5歳の私はモグサを銅のコインに載せコインを瀬戸物に載せていれば、やけどにはならないよと持っていたおこずかいで真似て見せながら彼らにしゃべった.
売り出されたのはずっと数年後だが、せんねん灸は私のアイデアだ.

面白いと言われたのだろう、調子に乗った私はいい気分で、モグサ屋たちに接着剤や歯磨き剤チューブの皺を作らぬように、紙と金属箔を多重な層状に重ねて接着した素材のチューブにするアイデアもいった.
現代のチューブにはそのようなチューブが多い.

幼稚園の頃のことだ.
わがやの店に東京通信工業のお兄さんがテープレコーダーを設置しにやってきた.
音楽だけでなくテレビも録音してほしいと私がいったら、お兄さんはこのリールに巻き切れないほどの長いテープが必要になってしまうといった.

私はテープレコーダの録音ヘッドを指さし独楽を回すそぶりをしながら斜めにとびとびに重ねればその長さは節約できるといった.
君が思いつくほどだから実現できるかもしれない.とお兄さんは答えた.

ビデオレコーダはフライングヘッドという回転ヘッドを実装して売り出された.
だから私のアイデアだ.
数年たち小学生のころの金持ちの友達の家にまだアメリカ製の鉄ワイヤを使った録音機のある時代だ.


小学生になって2年か3年生のころ、銀座にソニービルがあった.
父とソニービルに行くと、展示説明員のおじさんが3点三角頂点配置のドットを使った3原色によるカラーテレビの説明をしていた.
ひろいマスク面積を小さくできたのでだんぜん明るいテレビに改良できたと説明する.
わたしは展示説明のおじさんにその場で自分の両手の指を使って、櫛歯を交互に挟むしぐさを見せながら、こう並べれば無駄が無いから明るいといった.
それはトリニトロンになって、数年後に売り出された.
私が東京通信工業、ソニーにあげた2つ目のアイデアだ.

大学生になって電機大学の向かいに理想科学工業という10畳一間ほどの小さな店があった.
そこでは営業用コピー印刷機の機械程の大きいストロボ光源で孔版を現像しTシャツに面白い柄を印刷していた.
まさか大企業とは思わずに、その孔版を単三電池3本ほどを使い、私の知っている小さなフラッシュキューブを応用する装置を実現してほしいといった.
うちで働きなよと誘われた.
すると数年たって、私の述べた機構を実現したプリンとごっこというものが1万円ほどで売り出された.
まさにスイッチの電極構造が私のアイデアだ.

ナショナルのステレオラジカセを東京音響という会社の製品による現代には珍しくない形状の秋葉原で見つけ出したイヤホーンで楽しみながら、自慢したくてわざと音を漏れさせながら、営団東西線に乗って大学へ通学していた.
それなんだいと聞いてくれた歳のころさんじゅうごろくの乗客がいた.
あんまり音がいいからみせたいんだといいながら、彼の耳にイヤホーンを入れて音の良さを自慢した.
従来ソニーになかったイヤホン形状のウオークマンがそこから生まれたはずだ.

友人がソニーの学生重役というインターンから社員になった.
製品アイデアが欲しいという.
携帯ビデオカメラにドイツのカールツアイスのレンズをマウントできる様に提携したら良いと提案した.
電池が長持ちするようにファインダーモニターの光源を太陽光にしようと提案した.
実現した.


自慢を並べた、でもわたしは無一文だ.
特許からは何の恩恵もない.

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