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転院で発達障害の診断が覆されることはありますか?

掲載日: 2020年7月4日更新日: 2020年7月4日

発達障害と診断されたのは10年前ですが、詳しい結果を教えてもらえないまま主治医が亡くなって、もう大分経ちます。

本当なら就職に有利なはずの大学を卒業後、正社員になることが怖くてたまらなかったので、派遣とバイトばかりですが、あらゆるジャンルの仕事を経験して、常に全力で頑張ってきたのに、何一つまともに仕事が出来なかったため、10年前から自分はきっと相当酷い自閉症なのだと思っていました。

しかし今日、今の主治医の話を聞いて、自分は本当に発達障害なのか怪しいと思いました。

10年前のWAISの結果、詳細は見せてもらっていませんが、医師が「きっとあなたは言語性IQが高く、動作性が著しく低いのかと思っていたけれど、検査結果を見たらどちらもほぼ同じで、IQも平均的」とのことでした。

診断名は、もう10年前なので古い言葉も含まれますが「ADHD、広汎性発達障害、うつ」だそうです。

もしかしたら発達障害ではないかもしれない、と最初に思ったのは、最近よく聞くHSPと自分の症状があまりに酷似しているのと、当事者の知人の話を聞いたり、顔を見ていると、他の当事者の方々の多くは、表情がほぼ変わらず、話し方も抑揚がないのですか、自分は正反対なのです。
また、ある人は今でこそ饒舌ですが「3、4歳まで全く話すことができなかった」とのことでした。

しかし、私は早生まれのハンデを感じたこともなく、幼少期は器用貧乏というか、何でも人並み以上にこなしていました。
2歳頃には正確な音程で歌うことができたらしく、音大出身の幼なじみには「幼稚園の頃のビデオ見てたら、私より遥かにピアノうまかったよ」と言われたこともありました。
この時点では、発達の遅れは見られない感じがします。

しかし、両親が46と43のときの子供だったため、何らかの障害をもって生まれてくるリスクは高かったでしょう。
余談ですが、首にへその緒が巻き付いていたそうです。

生育環境は少し厄介で、母乳を飲めない、とにかく食べられない子供だった為、栄養失調だったそうです。
生まれてすぐに乳児院に預けられ、また家に戻されたそうですが、2歳から6歳までの間に2回、県を跨いだ引っ越しをして、乗り物酔いが酷く、道中ずっと嘔吐していたそうです。
母からは、この先も何度か転校することになるからと、常に標準語を使うことを義務付けられていました。

ところが、父が自分の故郷に執着して転勤を拒んだ為、小学校から高校卒業まで、父の故郷で地獄の12年を過ごしました。

私が小学校に上がった頃から、両親は毎日が大喧嘩、私も親からは躾と称して暴力をふるわれていて、学校でも4年生頃から卒業までずっといじめのターゲット、中学は可もなく不可もなく、高校で再び孤立しました。
登校拒否も転校も許されず、逃げ場なしでした。

諸々の能力に関しても、幼少の頃は何でも他の子を上回っていたのに、音楽と勉強以外は全て他の子達に抜かれて、幼くして頭打ちになりました。

確かに、思春期の頃は本当に怠惰でした。
遊んでばかりで、勉強したことないし、ピアノも練習が嫌で投げ出す始末でした。

大学で初めて勉強の壁にぶつかり、常に不安が付きまとうようなって、いろんなメンタルクリニックに通うようになりましたが、自分ではうつだと思っていても「統合失調症」と言われたり「ただの甘え」と一蹴されたこともあります。
なのに、薬だけ沢山出されて、それが古い型の薬だったこともあり、副作用で35キロも太り、母乳が出たり生理が全く来なくなったりしました。

それから時が流れ、10年前に「発達障害」と診断されたことで「単なる甘えではなかったのだ」と、ホッとしたのに、それがまた揺らぎ始めたというわけです。
確かに、思春期の頃は本当に怠惰でしたが、子供の頃は、あんなに酷いいじめにあっても絶対泣かずに耐えていたのに、大人になるほど、どんどん心が弱っていき、打たれ弱くなり、今でも昔のいじめや虐待のフラッシュバックに苦しんでいます。
最近飲み始めたインチュニブの効果は特に感じないものの、服用開始してから自傷行為だけは止まりました。

話が長くなりましたが、WAISだけで発達障害と決まるわけではないようですが、他にどんなことからADHDだと診断されたのでしようか?
衝動性が強かったり、片付けをしようとすると気が狂いそうになる、子供の頃は多動があった、という生育歴からでしょうか?
10年前の診察の際は、母からの聞き取り調査もありましたが、今となっては当時の主治医も母も他界しているので…。

同じ病院で引き継いだ現在の主治医は、発達専門医ではありませんが「あの先生が診断したなら間違いないよ、HSPは性格だけど、あなたは明らかに病気」と言いますが、ひとつ問題があります。

この先もずっと今の病院にかかっていれば問題ありませんが、私は父が他界したら、家を売ってこの忌まわしい地元を離れ、誰も知人のいないところへ引っ越します。
それが私の唯一の希望だからです。
今は、知人との鉢合わせ(田舎なので頻度が高い)が苦痛なあまり、病院以外の外出は、ほぼできないので…。
いずれにしても、手帳と障害基礎年金は命綱です。
他県の病院に行って、もし「あなたは病気じゃない」と言われたら…もう生きてはいけません。

これだけは言えるのですが、私は仕事で手を抜いたことは一度もありません。なのに、うまくいかずにクビになってばかりでした。
それどころか、A型やB型事業所すら勤まらなかったのです。

今の主治医からは「理想は少しでも働けたらいいけど、無理だね」と言われていますが、もし「病気ではない」と言うことになれば、もちろん年金はなくなり、作業所に行くのも無理、ましてや働かないなどという選択肢は許されず、文字通り生きていけなくなります。
やっとの思いで地元を離れても、餓死か自殺しか道がないのなら、これまでの我慢は何だったのかと思います。

それが怖くてたまらないのです。

長文を失礼しました。
要点がわからなくて、話が長くなるのも自分では変だと思っています…。

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