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母との関係

掲載日: 2016年2月18日更新日: 2018年5月23日

ご覧いただき、ありがとうございます。初投稿で不慣れですが、よろしくお願いします。

私は次年度から社会人として働き始めます。
家が母子家庭で、両親は私が3歳になる前くらいに離婚しています。一人っ子です。
幼い頃は母のことが大好きでした。
母は18のときに私を産んでおり、端から見れば、友だち感覚、姉妹感覚のようだと言われていました。

ただ、ときどき母のことが嫌いになることがありました。
私は、なにか叱られて「どうしてそんなことしたの?」と聞かれたときや、お互いを理解するための話し合いの場で「なにか思っていることはある?」と聞かれたとき、黙ってしまいます。
答えがないから黙っているわけではありません。
私なりに考えがありますが、母に話しても、論破されたり、否定されたり、論点をすり替えて話されたりするのが嫌で、言葉が出なくなります。
私自身、自分のコミュニケーション能力が欠けているとは思えません。学校では活発にしていて、先生方にも褒めていただけたので、自信があるくらいです。

でも、こと母に対しては、口が重いです。
何か言われても否定されるから、話したくない。その思いが邪魔をしているのもありますが、そういう場面では不思議と言葉が出てきません。

こういう雰囲気以外のときは、仲良くやってきました。

また、母には恋人がいて、とても優しく知的な方で、保育園のときから一緒にいる記憶があります。この方を、仮に、Kさんと記します。
Kさんは私にとって父親代わりのようでした。
休日に出掛けたり、夜 外食に連れて行ってもらったり、おもちゃを買ってもらったり、Kさんと過ごす時間は大好きでした。

でも、母が私を産んだ年まで(18歳)成長したいま、母を尊敬できる人だと思えません。
ヒステリックで、感情的で、100%自分が正しいと思っています。

私が機嫌の悪いときや、落ち込んでうじうじしているとき、決まって「なんで?」と聞いてきます。
態度が悪いと、かなり怒ります。
「もうちょっとマシにならないの?」
「私まで気分が不愉快になる」など、理不尽に思えることを言ってきます。

中学生の頃から、感情の尊重をしてくれないと思うようになりました。
いまでもずっと変わりません。

最近、あるアニメを見ました。
それに登場する教師に強く惹かれました。
生徒に対して慈しみが深く、愛情を持って接するような先生です。
こんなお母さんだったらなあ、と思うようになりました。

そこから、架空の人物がお母さんだったら、と妄想するようになりました。
虚構だとわかっているのに、頭の中で、理想の母親像をつくり、架空の人物に当てはめてしまいます。

また、優しくしてくれた人に執着してしまいます。
行動の伴う執着ではなく、精神的な拠り所にしてしまうというか、言葉にはできません。
ネット用語では「ばぶる」と言うんでしょうか。

実の母親よりも、ずっと肯定してくれる、と思うようになりました。
家族への憧れは強くなる一方です。


私は、母と一緒に、祖母の家に暮らしていました。
小学生の頃に一度、母が「自立したい」ということで市外に引っ越したことがあります。
そのとき反抗期を迎え、夏休みは私だけで実家に泊まるなど、母と距離を置いていました。
学校に馴染めなくて、カッターで軽く手首に傷をつけて、リストカットの真似事をしたり、
死にたくなって、マンションのベランダから外を眺めて死ぬ想像をしたり、遺書も書いたりした記憶があります。
そのとき母に、「こんな高さから落ちても死ねないよ」ときつく言われました。
もう限界でした。

親子でカウンセリングを受けた記憶もあります。
実家で祖母と暮らすことで、幾分か反抗期が落ち着き、また実家に戻って母と暮らすようになりました。
Kさんも協力してくれました。

中学生になり、Kさんが実家に泊まるようになりました。
その頃には結婚の意思があると、祖母に話していたので、祖母もそのことを許し、家族としてKさんを迎え入れました。

Kさんと、母と、私は、実家のある市内で、別の場所に引っ越しました。
3人暮らしが始まりました。

Kさんと母は仲が良く、私の前でもいちゃいちゃすることがよくありました。
私はそれが嫌でした。
母の女としての顔を見ることが、不快で堪りませんでした。
やめて、と言っても控えることはありませんでした。

いつか、Kさんに対して「お母さんを取らないで」という気持ちになったこともあります。
その気持ちは新鮮でよく覚えていますが、そんな思いはすぐに消えました。

母よりもKさんと話す方がずっと建設的で、有意義でした。
だから悩み事も、母よりKさんに話すことが増えました。

母には理解してもらえない、という思いが強くなりました。

高校3年生の5月頃、進路を決めるのに重要な時期、Kさんが末期の病気であることを知らされました。
経済的に3人で暮らすのは厳しくて、母と2人で実家に戻りました。

母は、目に見えて痩せ、やつれ、精神的に疲れていきます。
私は四年制大学への進学を諦め、少しでも家庭に経済的な援助がしたくて、就職に進路を変えました。
私の通う高校では、進学コースと就職コースがあり、1年の夏休みが明けてから、そのコースに分かれて専門的なカリキュラムを受けます。
私は進学コースで、就職には不利なカリキュラムでした。
でも、先生方の支援を受けて、なんとか就職に目指して頑張っていました。

入社試験は9月。
夏休みと放課後は、面接の練習に消えました。

入社試験が終わると、母が「母(私から見て祖母のこと)とはやっていけない。出て行こう」と言い出しました。
試験の結果が出るよりも前に、引っ越し先を就職先の近くに決め、契約をしました。
祖母には出て行くことも、引っ越し先も言わず、引っ越しをしました。

祖母は、母に対し、思いやりに欠けたことをしました。
私もそのことに腹を立て、数少ない親戚のひとりの祖母を見捨てるような形で家を出ました。

最近まで、そのことについて、罪悪感はあれど後悔はありませんでした。
でも、母へ不満が募り、母に黙って(母は私が祖母に会うのを嫌がっていました)祖母に会いました。
「お母さんと暮らすの、しんどい」というメールを送ったら、すぐに電話がかかってきて、会うことになりました。

祖母は私を心配してくれたし、「いつでも戻っておいで」と言ってくれました。

母は鬱病です。
些細なことで怒ります。
刺激しないように我慢して、やり過ごしてきましたが、私にも限界があります。

親に育ててもらった恩を忘れて、親の不出来を宣うのはおかしいと思います。
親に対し、尊敬や感謝を抱くことはあっても、軽蔑したり、軽視したりするのは、あってはいけないことだと思います。
頭では理解していても、こころが頷きません。

母の愛情を、感じなくなりました。

冬に、「私が話し合いのときに話せないのは、お母さんがすぐに否定するからだ」
「私にも悪いところはあるけど、育て方が悪かったんじゃないの?」
「18でまともに子どもを育てられるわけないのに、なんで生んだの?」
「生まなかったらよかった」
と言ったことがあります。
学校へ送ってもらう車の中での出来事です。

母は逆上して、家に引き返しました。
私はバスと電車で学校へ行ったけど、着く頃には学校は終わっているくらいの時間帯で、虚しくなって家に帰りました。

それから、煽るように私を傷つける言葉を言ってきます。
あたりが強い、と言うのでしょうか。


Kさんと、母と、3人で、手を繋いで歩いたこと。
Kさんが優しくしてくれたこと、肯定して、包容してくれたこと。
母とふざけて笑い合ったこと。
楽しかった思い出も、たくさんあります。

でも今は、楽しい思い出よりも、悲しい思い出の方がたくさん浮かんできます。

話し合いのとき、母が話すばかりで、私が何も言えずにいたとき。
私は過呼吸になりました。
母は話さない私にイライラして、「まんがの真似して同情を誘ってるの? やめてよ」と言いました。
母と私が好きなまんがで、主人公が過呼吸になるシーンがあります。

過呼吸になっているとき、こんな苦しい思いをしてまで真似なんてしないのに、と思いました。
ビニール袋を当ててもらってなんとか落ち着きましたが、言われたことが相当ショックで落ち込みました。

また、母との関係がうまくいかず、母を拒んでいたときは「殺して」と言われ、包丁を渡された記憶もあります。


毎日、祖母が言ってくれた「いつでも戻っておいで」ということばを思い出して、こころが揺れます。
母はいま精神的に参っていて、私が家を出たら、もっと悪化すると思います。
でも私は、自分を守りたい、と思っています。

本当に愛されているのかな。
もっと、人に愛されたいです。
誰かに必要とされ、肯定されたいです。
私は母に対して何が間違っているのでしょうか。
母が正しいですか?
こんな娘をどう思いますか。

親の視点から、
また、同じような環境の方がいらっしゃいましたら、その視点から、様々なご意見をお聞きしたいです。
長々と書きましたが、ここまでお読みいただいて嬉しく思います。

よろしくお願いいたします。

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