古民家で当時の暮らしを実感!
奈良県立民俗博物館の見どころ
古民家で当時の暮らしを実感!
奈良県の地域で特徴的な江戸時代の民家9軒15棟をかつて所在した地域に合わせ「町屋集落」、「国中集落」、「宇陀・東山集落」、「吉野集落」の4つのエリアに分けて移築復原しています。また、古民家を外から眺めるだけでなく、家の中を土間まで見学することができます。縁側に腰掛けながら、豊かな自然に囲まれた山村の風景をゆったりと楽しめます。
- 【町屋集落】旧臼井家住宅高取藩の城下町である高取町上土佐に所在した古民家です。臼井家は城の大手へ通じる道の北側に屋敷を構え、屋号を「伊勢屋」と称して酒・醤油の販売を営んでいました。また、藩の公用伝馬の役や大年寄を務めたと伝えられています。
建築年代は明らかではありませんが、構造や技法などから18世紀前半と推定されています。全体の外観や平面は農家風ながら、道沿いの奥座敷の表側が格子構えになっているなど立面に町屋の要素を併せ持つ、半商半農的な建築となっています。
1974年に大和民俗公園に移築され、建築当初の姿に復原されました。また、同年に主屋と内蔵の2棟が、国の重要文化財に指定されました。 - 【町屋集落】旧鹿沼家住宅鹿沼家は、もと大和高田市街の中心部、永和町(もとは旧高田村、旧三倉堂村の各一部。昭和41年より現町名)に所在、東西に横大路(長谷街道)、南北に大和郡山、五條を結ぶ下街道が交差する交通の要衝にあって、代々米屋を営んだと伝えられています。
建築年代は、家に伝わる普請関係文書から文化9年(1812)直後とされています。切妻造の2階建、屋根は桟瓦葺、表側の角太格子、2階正面の出格子や両端の袖壁、また内部の土間には表と奥を分ける間仕切り(中戸)を設けるなど、町家の特徴をよく表しています。2階正面に出格子を有するこの形式の事例としては、県内でも古いものです。
1974年に大和民俗公園に移築復原されました。また、1980年に奈良県の有形文化財に指定されました。 - 【国中集落】旧吉川家住宅橿原市中町(近世は十市郡中村)より移築復原されました。
建築年代は、18世紀初め頃と推定されています。もとの屋敷構えは、敷地中央に南面してこの主屋を立て、前方に長屋門を構え、その両端よりコの字型に土塀、納屋、内蔵、米蔵などの付属屋が取り巻いた「囲い造」で、奈良盆地の典型的な農家住宅の姿を呈していました。屋根型は、もとは大和棟でしたが、移築復原後に建築当初の入母屋造に復されました。復原された主屋の間取りは、正面入口からみて右半を土間とし、左半の居室部はくい違い四間取り、座敷の床、仏間、物入は建築後役80年くらい経過してから改造されたものと思われます。土間表角のシモミセ(下店)と呼ぶ部屋は、昔は機織りを行う機部屋として使われました。奥はかまど、カラウス(唐臼)、流しを備えた釜屋となっています。
1976年に大和民俗公園に移築復原されました。また、翌1977年に奈良県の有形文化財に指定されました。 - 【国中集落】旧萩原家住宅もと桜井市下(江戸時代は十市郡下村)にあった農家住宅で、18世紀初期の建築と推定されています。
復原後の間取りは、正面入口左側が居室部で整形四間取り、右側の土間表側角にツシ(厨子)と称する中二階をもつマヤ(牛小屋)を設けます。その奥側は釜屋となっています。開口部が少なく表側の居室と土間の境が土壁で塞がれているところや、納戸入口の敷居が床面より高く、帳台構えの名残を留めているところなど、民家の変遷過程を示す好例といえます。
1978年に大和民俗公園に移築復原されました。また、1970年に奈良県の有形文化財に指定されました。 - 【宇陀・東山集落】旧八重川家住宅
もと県北東部、都祁村針(現在奈良市)に所在した農家住宅です。形式手法上から19世紀前半ごろの建築と考えられています。
桁行6間、梁間4間、寄棟造りで茅葺の屋根葺下し。土間は、通り土間形式ではなく、正面と側面に出入口を開き、正面側をマヤ(牛小屋)、背面側を釜屋としています。釜屋上部小屋裏に、土を塗った四角錐状の煙道をつくり、煙口を茅屋根面に開いためずらしい煙出しを設けています。床上部(居室部)は正面側にザシキ八畳、背面側はナカノマ六畳、二間取りの明快な間取りです。
1992年に大和民俗公園に移築復原されました。また、2004年に奈良県の有形文化財に指定されました。 - 【宇陀・東山集落】旧岩本家住宅岩本家は、奈良県東部山間部、旧室生村黒岩(現宇陀市)にあって農林業を営み、庄屋年寄を務めたと伝える家です。
建築年代は、19世紀中期、嘉永(1841~55)頃と推定されています。間口7間、奥行5間半、入母屋造の茅で葺き下ろした屋根が、素朴ながら重厚な外観をみせ、梁組や差物など構造手法にみるべきものがあります。改造は殆どなく、当初の様子がよくわかります。
1980年に大和民俗公園に移築復原されました。また、前1979年に国の重要文化財に指定されました。 - 【宇陀・東山集落】旧松井家住宅松井家は、もと奈良県北東部、室生村上笠間(現宇陀市)に所在した家です。主屋は、間口5間半、奥行4間の入母屋造り、屋根は茅葺の葺下しです。土間側は、手前にマヤ(牛小屋)、背面側に釜屋を、さらに右側に造りつけの風呂場を配しています。居室部は桁行に食い違う四間取りに板敷の「ヒロシキ」がつきます。
建築年代は、19世紀前半とみられますが、間仕切り箇所の付き止め溝や背面ナカノマ(中の間)、ナンド(納戸)の簀子床など古式を残し、当地方の民家の特色、変遷をよく示しています。
1987年に大和民俗公園に移築復原されました。また、2004年に奈良県の有形文化財に指定されました。 - 【吉野集落】旧木村家住宅もと県南部、吉野郡十津川村大字旭字迫、旭川南岸斜面にあった山村の民家。厳しい自然環境の中で育まれた、山村の生活様式の一端ををうかがい知ることのできる好資料です。
建築年代は、主屋が文政4年(1821)、納屋と表門は19世紀中頃の増築と思われます。移築復原後の主屋外観は切妻造り、杉皮葺、北面庇付き。主屋の棟高が4.2mと低く、屋根勾配や緩く、妻両側に棟持柱が立ちます。両妻端部の雨避けのウチオロシ(スバル)は当地方の特色です。一段低く手前に建つ納屋は、杉皮葺石置き屋根の様子がよくわかります。主屋の間取りは三間横一列、正面に縁、奥に細長いナンド(ネマ)が付きます。増築部のザシキを除き、ドマも含めて板敷、壁も内外ともに板壁です。デエ、ダイドコ2室に囲炉裏があり、納屋は、ウマヤ(牛小屋)、便所、ツシニカイ(厨子二階)を有します。
1983年に大和民俗公園に移築復原されました。また、1975年に奈良県の有形文化財に指定されました。 - 【吉野集落】旧前坊家住宅
吉野山門前町の金峯山寺仁王門と銅鳥居の中程の参道沿い西側に北面して建てられていました。幕末期(19世紀中頃)には、ほぼ現在に近い屋敷構えが整ったとみられます。
主屋は、切妻造、杉皮葺で一部二階建、通りに面した正面床上部(居室部)前面に小縁を設けて格子を取り付け町家の外観を呈します。主屋のダイドコロ背面と離座敷の東北隅を渡廊下が接ぎ、離座敷があります。屋敷構え全体として下降傾斜する地形に建つ、復原前の敷地と建物が再現されています。屋敷構えのほぼ全体が保存されている例は吉野山でも数少なく、当地方の「吉野建」と称される民家を知る上で貴重です。
1991年に大和民俗公園に移築復原されました。また、2004年に奈良県の有形文化財に指定されました。

