日本人が愛して止まない「桜」。春になれば、桜の開花を心待ちにし、お花見を楽しむ方も多いのではないでしょうか。でもなぜ、日本人はこんなにも桜に魅せられるのか… その理由やお花見の起源・歴史を日本文化にまつわる書籍を多数執筆されている日本の文化・歳時記研究家、広田千悦子さんに伺いました。
日本人が桜に魅せられるのはどうして?

そもそも、日本人はなぜこんなに桜が好きなのでしょうか?
「仏教には『無常感』というものがあります。変わらないものはなにもない、移り変わるものだ、という意味ですが、そんな日本人の感性に桜という花はぴったりなのでしょう。気持ちが寄り添いやすい木だといえます。」
はっきりとした四季があり、自然のめぐりを見てきた日本人。たった一週間ほどで散ってしまう桜の、儚さや美しさに惹かれるのだろうと広田さん。
また、日本全国、どこ行っても目に付くところにある桜は、話題にもしやすく、開花の頃には毎日その変化を目にすることができる身近な花でもあります。
「つぼみから1分咲きになり、3分咲き、5分咲き、8分咲き、そして満開と、その時々で見る側の気持ちも変わりますよね。咲いては散ってのくり返しに、人生を重ね合わせ『また次がある』という希望を感じさせるのかもしれません。」
「行事や人生儀礼は、一直線ではなく円を描くように繋がっているもの。いろいろな行事を通して人生にもリズムやメリハリが出てきます。結果的にさまざまな出来事を自分の中へ落とし込んでいくことになるのでしょう。」
大昔の日本では「桜に神が宿る」と考えられていた!

日本人と桜の関わりは古く、大昔の日本では「桜に神が宿る」と考えられていたそうです。
「暦などがない時代、桜が咲くのを見てこのくらい咲いたら田植えをする、このくらいなら耕すなど、桜が季節の目印とされ、生きていくのに大切な作物を作るためのサインとして用いられていました。サインを間違えると作物が実らない、つまり命にかかわることですから、それを教えてくれる桜には霊力があると考えられていたのです。」
またこの頃には、山の神は春に山から里に下り、田んぼの神となり、秋には収穫をもたらして山に帰り、また山の神になるという考えがあったそうです。そのため昔の人は山の神と同様に春になると花が咲く桜を、神の力がある聖なるものとして大切にしていたのかもしれません。
「お花見」は平安時代から。和歌や俳句にも多数登場

このように古くから日本人の生活と密接な関係があった桜は、和歌や俳句などの作品にも数多く登場しますが、万葉集には、梅や萩を詠った歌は110首ほどあるのに対し、桜を詠った歌は意外にも40首なんだそう。昔は春の花として、桜よりも梅や萩が人気だったようです。
桜が春の代表的な花として認識されるようになったのはいつ頃からなのでしょうか。
「奈良時代から平安時代にかけて寺院などの建設ラッシュがあり、たくさんの木が切られたのですが、そんな中、数多く生き残ったのが桜の木でした。この頃から、春の花として桜が優位になったようです。江戸時代になると、人の手により桜の木がどんどん植えられていきました。現在お花見で賑わう上野の桜なども、17世紀前半には植えられていたようです。」
「『宴』としてのお花見が始まったのは、奈良時代頃からでしょうか。その頃には貴族の間で桜を愛でながら歌を詠んだりする『宴』が開かれていました。そして一般庶民のものになったのは江戸時代からでしょう。徳川吉宗などは、治安のよくない時代、花見をして、広く一般の人々にも楽しんでほしいと、桜をたくさん植えたそうです。」
「桜」が出てくる作品
「平安時代の歌人、在原業平の『世の中にたえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし』という歌はとても有名で、この世の中に桜というものがなかったら、春をのどかな気持ちで過ごせるのに、といった意味で、すぐに散ってしまう桜にソワソワして過ごさなければならないという感じがでていますよね。この歌の記載がある『古今和歌集』には他にも、とても華やかな桜がすぐに散ってしまうことの名残惜しさや儚さを詠った歌があります。」
そのほか、吉田兼好の『徒然草』や松尾芭蕉の俳句にも桜が出てきます。今も昔も、桜の花が日本人と関わりが深いということがうかがえますよね。
別れと出会いの季節に咲く桜。みなさんは、今年はどんな桜を感じるのでしょうか。上を見れば華やかな桜の花。満開の桜の下、今年も楽しいお花見ができますように。