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子どもの夢応援企画:プロバスケットボール選手 翁長明弘さん

掲載日: 2017年6月14日更新日: 2017年6月14日竹下沙弥香

子どもたちの憧れの職業について、その道のプロからお話を伺い、夢の育みをサポートする『子どもの夢応援企画』。今回は「プロバスケットボール選手」。プロとして5シーズンを過ごし、現在はコーチとして活躍中の翁長明弘さんにお話を伺いました。

バスケットが盛んな沖縄の地で育んだプロ選手の夢

翁長さんがバスケットに出会ったのは、小学校5年生のとき。

「マンガみたいな話なんですけど、学校のグラウンドにあったリングに遊びでシュートを決めた時が気持ちよくて『面白いかも』と思って、バスケ部に入部したんです(笑)。元々スポーツは得意で負けず嫌いな性格なのと、当時の学校が強くなかったのもあってすぐに試合には出れるようになったんですけど中々勝つことはできず、上手い人を見ながら早く上手くなって大きな大会で活躍したいと思っていましたね」

そんな翁長さんに大きな転機が訪れます。小学校6年生のとき、ご両親の仕事の関係で千葉から生まれ故郷の沖縄に戻ることになったのです。

「沖縄は昔からバスケットが盛んな土地。部活を通じて、同じようにバスケが大好きな仲間や熱心に指導してくれる先生に出会い、バスケの本当の楽しみを知ることができました。そして、当時憧れだったNBAの選手たちのプレーをビデオテープが擦り切れるまで何度も繰り返し見るうちに、いつしか『将来、自分もプロバスケットボール選手になってやる』と強く思うようになりました」

ライバルとの出会い・県大会優勝 そして夢をおいかけて渡米

さらに、中学校では「千葉ジェッツ」で現在もプロとして活躍中の上江田勇樹選手との出会いも。

「彼は当時からスーパースターで、素晴らしい仲間であり、良きライバルでもありました。練習が終わってからも2人で切磋琢磨して、家の近くのコートに行き、よく2人で練習していました」

厳しい練習の甲斐あって、翁長さんや上江田さんたちのチームは、県大会で優勝を果たします!

「ただ、バスケだけではなく勉強も出来る様にならなくてはと思っていたので高校はバスケも勉強も両立できそうな地元の進学校を選びました。NBAで活躍するのがその当時は夢だったので、高校1年の段階でアメリカの大学に行くことは決めていましたね」


ケガに悩んだ時期も諦めずに続けてプロデビュー!

ところが、高校2年になった翁長さんは腰に大ケガを負い、10カ月もの間プレーできない状態になってしまいます

「ドクターにはバスケを諦めてくれと言われたけど、自分自身は『ケガが治れば、俺はやれる』『絶対にプロになるんだ』とずっと思っていました。それが夢だったし、自分にはできるって信じていたので、バスケを諦めるっていう選択肢はなかったです」

治療の甲斐あって、高校3年になる頃には無事に復帰! そして、卒業後には憧れのアメリカでの活躍を目指して、単身渡米します。

「アメリカの大学は成績が悪いとバスケ部に入れないんです。英語で自己紹介すらできないレベルで渡米したので、向こうで過ごした4年間は人生で一番勉強しましたね(笑)。もちろん、バスケも本場の強い選手たちとプレーする中で、日々スキル向上に励んでいました。2年目でトライアウトに合格して練習生になり、ようやく3年目でロスター(出場選手登録)入りできたんですけど、また腰を故障してしまって…」

「ケガをすると人とぶつかるのが怖くなるので、次第に以前よりも自分を少し抑えて、ケガをしないようなプレースタイルを選択する様になりました。しかし、アメリカのトップレベルで活躍している選手達は自分とは段違いにレベルが高かった。引退直後のNBA選手と一緒にプレイをする機会があったのですが、大人と子どもの様な差で完全に遊ばれてしまいました」

「NBAという夢を完全に諦めたわけではなかったのですが、カレッジを卒業後は一度日本でプロとしてしっかりプレーして成長してから戻ってこようと思うようになりました

そうして翁長さんは、2010年に帰国。2011年にプロチームの入団テストを受け、24歳でプロバスケットボール選手になったのです。


トップ選手たちと全力で戦いすべてを出し切った5年間

バスケットボールは、9月から翌年4月までがシーズン。穏やかな笑顔が印象的な翁長さんですが、シーズン中は常に試合のことを考えて戦闘モードなので、親しい友人からは「シーズン中とシーズンオフで顔つきが全然違う」と言われていたそう。

「プロになると、大きな会場でお金を払って見に来てくれるお客さんの前でプレーする分、以前よりプレッシャーは大きくなりましたね。でも、お客さんやチームメンバーに喜んでもらえるプレーができたときは、最高にうれしくて、大きなやりがいを感じていました

「プロとして活躍した5年間で一番思い出に残っているシーズンは、2013年〜2014年。NBLで日本のトップ選手を相手に戦っていた頃です。記録に残るようなすごい活躍はできなかったけど、自分にできることはすべて出しきった気がします。ファンの方の声援に支えられて、本当に幸せな時間でした」


子どもたちの素朴な疑問に翁長さんがお答え!

ここで翁長さんに、子どもたちから寄せられた3つの質問に答えてもらいました。

どんな練習を毎日していましたか?

シーズン中は土曜日・日曜日の週2日、50試合以上を戦います。それに備えて試合のない日は、トレーニングや体のケア、次戦に向けての試合のシチュエーションを想定した練習をしています。練習時間はチームによって差がありますが、決められた時間以外でも、自主的に練習したり体のケアをしたり、相手チームの試合のビデオを見て勉強をしたりと、常に試合のことを考えて過ごしていましたね。

どうしたら高くジャンプできますか?

たくさんジャンプして、高く跳べる方法を研究するしかありません。ただし、がむしゃらに数をこなすだけではダメ! 間違った跳び方をしているとケガにつながるので、ほかの選手のジャンプを見たりコーチやトレーナーにアドバイスしてもらったりして、正しい跳び方を学んで、ケガをしないようにすることが大切です。

どうすれば身長が高くなりますか?

バスケットは身長が高い選手が多いので、プロ選手だと180cmでも低い方です。外国人選手では2m20cmある選手もいます。身長を伸ばすには、好き嫌いせずよく食べてよく寝ることだと思いますが、身長がすべてではないので、人に負けないスキルを身につけることが何より大切なことだと思います。


引退してからはコーチとして活躍中

プロになってからも腰の故障に悩まされ続け、毎日痛み止めを飲んでプレーしていた翁長さん。体力の限界から2016年に引退した後は、選手としての経験を活かして、コーチとして若い世代の育成に積極的に取り組んでいるそうです。

「ポイントガードの自分にとってはドリブルしてゴールに向かうスピードが命でしたが、プロになるには飛び抜けた身長や身体能力が無くても、誰よりも必死に努力して、誰にも負けないものを何か1つでも持つことが大切です」

「自分自身が子どもの時の夢を叶えてプロバスケ選手になったので、子どもたちには『諦めなければ夢は絶対叶うから、自分が本当に叶えたい夢があったら、それに向かって突き進め』と伝えたいですね!」

翁長さん、貴重なお話をありがとうございました。『子どもの夢応援企画』第21回は「花屋」です。お楽しみに!

お話を聞いたのは…

  • 翁長明弘さん

    2011年に「兵庫ストークス」と選手契約を結びプロバスケットボール選手となる。ポジションはポイントガード。「アースフレンズ東京Z」に所属していた2015-16シーズン終了後、選手を引退し、現在は埼玉県を中心としながら全国各地で子どもたちにバスケットと教えるスクールコーチや、プロとしての経験を語る講演活動を通じて、次世代の選手育成に積極的に取り組んでいる。

  • 翁長明弘オフィシャルホームページ

ライター紹介

竹下沙弥香

ダイビング雑誌編集や、某大手通信会社のWEBマガジン編集を経て、ひょんなことから「いこーよ」編集部にジョイン。プライベートでは、3歳&7歳の娘の母。「思い立ったら即行動」がモットーで、猪突猛進どこまでも突っ走る、元気だけが取り柄の熱いヤツ☆  Don't worry!Be HAPPY. IT'S MY LIFE!!

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