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子どもの夢応援企画第8回:プロレスラー 真壁刀義さん

掲載日: 2016年3月25日更新日: 2017年5月16日佐藤葉月

子どもたちの憧れの職業について、その道のプロからお話を伺い、子どもたちの夢の育みをサポートする『子どもの夢応援企画』。

第8回は、リング上での熱い闘いで観客を魅了する「プロレスラー」! 新日本プロレスで最も権威のあるIWGPヘビー級王座(第54代)を始めとする多くのタイトルを持つ傍ら、スイーツ真壁としても各メディアで大活躍中の真壁刀義(まかべ とうぎ)さんにお話を伺いしました。

レスラー冥利──"人をパワフルにする"これに尽きるぜ!

──ずばり「プロレスラーの魅力」とは?

「超満員の客席で、俺たちプロレスラーの試合を見て、観客が狂喜乱舞する。勝てば『ありがとう、明日からまた頑張るよ』って言われるし、負けても『勇気もらったよ、ありがとう』って言われる。おい、どっちなんだよ?って思うけど、それでいいんだよ。俺が全力で戦うことで、人にパワーを与えることができるってことが嬉しいんだ。」

「俺は常にファンの連中の期待を背負って戦ってる。勝っても負けても、俺の姿を見てパワーをもらう奴がいる限り、力が尽きるまで全力でファイトし続けるぜ!」

プロレスラーへの道──「強い俺でいること」これが自分と交わした約束だ!

──プロレスラーの強さに憧れた小学校時代

「小学校4〜5年の頃、テレビで『ワールドプロレスリング』っていうプロレス番組があってさ。毎週金曜の夜はそれを見るのが何よりの楽しみだったんだよ。翌日なんて、クラスじゃプロレスの話でもちきり。みんなを魅了するプロレスラーの強さに憧れたのは、この時だったな。」

──プロレスよりも身近だった柔道の道を選んだ中学・高校時代

「でもプロレスって、当時の俺にとっては遥か夢の世界だったんだよ。そんな時にロサンゼルスオリンピックがあってさ。そこで柔道の山下泰裕とか斉藤仁とかが金メダルを取る姿を見て、なんだよ、めちゃくちゃかっこいいじゃねぇか!って。それで、中学・高校は柔道部に入ったんだ。」

「柔道部では、強くなりてぇって気持ちでとにかく練習に明け暮れた。練習しすぎて疲れて、毎日夜8時には寝てたぐらい。夜、クラスの女子から電話がかかってきた事があったんだけどよ…俺、寝てて。『お前ふざけんなよ、そんなに早く寝てるのかよ』って、次の日みんなに笑われたぜ。でも当時の俺は、公立の学校に通ってても私立の強豪校の奴らにはぜってぇ負けねぇって、とにかく必死だったんだ。」

──大学入学後、遊び感覚で始めた学生プロレス

「大学に入って初めて、学生プロレスを始めたんだ。プロにはなれねぇって思ってたから、ちょっとでもプロレスラーの気分を味わってみようって。観客を笑わせる、お遊びのプロレスだよな。」

「でも、本物のプロレスの試合でバイトをしたことがあって。その時にさ、プロの試合ってのを間近で見て、俺もここに上がってみてぇって熱い思いが込み上げてきたんだ。それでさ、みんなが就職活動を始めた頃、俺はプロレスラーに挑戦するって決意した。そこから、プロテストを受けるためのトレーニングを始めたんだ。」

──1996年4月、晴れてテストに合格して始まったプロレスラーとしての道

「新日本プロレスに入団してからの生活は、とにかく地獄。真面目にトレーニングしてんのに、先輩たちから罵倒されたり、ぶっ飛ばされたり。ここだけの話、返り討ちにあうのを覚悟で、マジで殺してやろうかと思ったこともあったよ。」

「練習場から2メートルのところに寮があったんだけど、デビューするまでは一切の外出禁止。家に電話することすらできねぇんだ。そんな状況だから、辞めていった奴は数え切れねぇほどいるよ。」


プロレスラーとしての自分を180度変えたひと言

そんな辛い毎日に心が折れかかっていた時…とある大先輩にかけられたひと言で、真壁さんのプロレスラーとしての意識は大きく変わったのです。

──「バカヤロー!コノヤロー!お前、誰よりも強くなれよ」

「先輩の言うことも聞いて、誰よりも真面目にトレーニングやってんのに、毎日ボロ雑巾みてぇに扱われて。何が正しいか分からなくなって抜け殻みてぇになってた時によ、鬼軍曹こと山本小鉄さんっていう大先輩にポロっと弱音を吐いたことがあったんだよ。そしたらさ、弱ってる俺に対してあの人『バカヤロー!コノヤロー!』って怒ったんだぜ?(笑)。そしてその後『お前、誰よりも強くなれよ』って言われたんだ。」

──プロレスラーとしてのターニング・ポイント

「そのひと言を聞いた瞬間、俺は『は?』って思ったよ。そんなの当たりめぇじゃねぇかって。でも後でハッとしたんだ。俺はただ練習こなすだけ、先輩の言うことを聞くだけの奴になってたなって。でも気付いたんだ。プロレスラーとしての実力はもちろん、心もからだも誰よりも強くすることができれば、俺に文句を言える奴はきっといねぇ。そんな強い自分になればいいんだって思えたんだ。その言葉を聞いた次の日から、俺はそれまでとは全然違う俺になったんだ。」

胸に秘めていたもう一つの約束は、家族・友人への恩返し

『誰よりも強くなる』。その目標を胸に、厳しい先輩のしごきにも耐え、どんどん力を付けていった真壁さん。しかし、辛い毎日に変わりはない…そんな日々を乗り越えられた心の支えとは──。

家族や友だちに、胸を張らせてやりてぇなって思いがずっとあったんだ。俺を応援してくれてる奴らのために、絶対スーパースターになってやるって。俺、自分のために何かするとすぐダメになるけど、人のためって思うと不思議と頑張れるんだよな。」

──遂にやってきた「自慢できる自分」になれた瞬間

「俺は2010年にIWGPのチャンピオンベルトを取ったんだけど、その時の試合が終わった後親父に電話をしたんだよ。『おい、俺、取ったぞ』って。そしたら親父、電話の向こうで泣き出しやがって。『お前さ、やめろよ、泣くなよ』って言ってさ。こっぱずかしいから、『じゃあな』ってすぐ電話を切ったんだけど、初めて心底、良かったなぁって思えた瞬間だったな。」


プロレスラーとして最も辛かった時期──人生に無駄な時間なんてないんだ

──「真壁はもう終わりか…」とささやかれ「失うものはない」と再奮起した直後のケガ

「デビューして少ししてから行っていた海外遠征から帰国した時、新日本プロレスは暗黒期に入っていたんだ。プロレス人気の低迷、レスラーの大量離脱。そんな中結果を出せない日が続いて『真壁はもう終わりか…』って言われてたんだ。でもここで俺はもう一度立ち上がろうって決めたんだ。『俺にはもう失うものはない』って気持ちを入れ替えてよ。そしていよいよこれからって時に、試合でアキレス腱を切っちまった。誰よりも頑張ってるのにこんなことになるなんて、あの時だけは、神様がもうやめろって言ってんのかなって思ったな。」

──応援してくれる大切な仲間のために

「そのケガの入院中、友だちやレスラー仲間が見舞いに来てくれて。俺が検査で席を外してて、病室に戻って来た時、西日が当たった部屋で楽しそうに話しているそいつらの影を見てさ、なんでか知らねえけど俺、こいつらのためにまだ頑張んなきゃいけねぇなぁって、静かにやる気が湧いてきたんだよ。」

ミラクルは、一生懸命やってる奴にしか起こらねぇ

「そこから本当の戦いが始まった。ふざけんな、誰にもできねぇことをやってやろうって気持ちだったよね。とにかく必死でトレーニングを積んだ結果、故障後5カ月で復帰することができたんだ。プロに入門した時、デビューすらできないと思われていた俺が、その後IWGPのベルトを巻くことができたんだぜ? だから俺は思う。ミラクルは、一生懸命やってる奴にだけ訪れるんだ。」

──強い目標されあれば、人生に無駄な時間なんてない

「挫折を味わった時、諦めて逃げることは簡単なんだ。でもどうせダメになるなら、全力でやりきってからの方が良いんじゃねえか? 人生は長いんだ。1年や2年位ただ地道に努力をするっていう時間があってもいいんだよ。どんな世界でも、目標に向かって頑張ることはぜってぇ無駄じゃねぇって思えるかどうかが大切なんだよ。」


子ども達からの質問タイム──お前らぁ!プロレスラーに関する素朴な疑問、俺が答えるぜ!

子ども達から寄せられたプロレスラーに関する素朴な疑問。真壁さんらしい愛と情熱に溢れる回答をいただきました。

Q.子どものころから、強かったんですか?

「そうだな、小さい頃からしょっちゅうケンカはしてたな。でもな、ケンカに勝つから強いってことにはならねぇ。これだけは覚えておいてほしい。ケンカをするのは、どうしても譲れねぇものを守る時だけだ。たいした理由もないのに人を殴って、相手の心やからだに傷を作っちまうっていうのは、本当の強さとは言えねぇと俺は思うな。」

Q.どうしたらからだを大きくすることができますか?

「それはよ、人一倍トレーニングするしかねぇんだよ。人並みの努力は当たり前。その当たり前を超えるところからが本当の努力なんだ。でも、毎日人一倍やってたら疲れるだろ? 今日は人並み、明日は俺の努力でやってやるっていう切り替えを上手にできれば、心が折れることはないぞ。」

Q.プロレスの技をかけられて痛くないですか?ケガは怖くないですか?

「おい、痛てぇに決まってんだろ!ケガも怖ぇよ!(笑)。でもよ、技をかけられても痛さを感じないようにトレーニングをするんだよ。例えばさ、腕を蹴られて腕が痛ぇんだったら、腕に筋肉付けて、そんなの痛くねぇって位腕を太くすればいいんだ。それにケガを怖がってリングにあがったら、いい試合はぜってぇできねぇ。だから、とにかくトレーニングをして自信をつけるしかねぇんだ。」

Q.プロレスラーとして嬉しい時はどんな時ですか?

「やっぱりチャンピオンベルトを巻いた時は嬉しかったな。観客がたくさん入って、俺を必死に応援してくれて。その空気の中で、全力でいい試合ができるってことが最高なんだ。それと、勝っても負けても、俺の試合を見て勇気をもらったって言ってくれるファンがいることが本当にありがてぇ。そいつらがいるから、常に全力でやってやるぞって思えるんだ。」


プロレスラーとしてのこれから──プロレスの魅力を伝え続けるには、俺が強くい続けなきゃいけねぇ

「俺が今こうして色んなメディアでプロレスの魅力を伝えることができるのは、チャンピオンクラスの現役プロレスラーだからなんだよ。それを忘れちゃいけねぇって思ってる。だからプロレスラーとしての実力を磨き続ける。俺の価値は、現役でチャンピオンクラスって所にあるんだ。だから、今でも毎日のトレーニングは欠かさない。引退なんて、まだイチミリも考えてねぇぞ!」

いこーよユーザーの親・子どもたちへ──とにかく、遊びまくってくれよな!

──子どもたちへ

「おい、お前らぁ! 父ちゃんと母ちゃんの言うことをちゃんと聞いて、友だちと仲良く遊んでいれば間違いねぇ。外で走り回るのでも、ゲームでもいいから、とにかく遊ぶんだ。遊びを通して成長して、強くて優しい大人になってくれよな!」

──親たちへ

「とにかく、何かある度に子どもを抱きしめてやってほしい。ガキの頃に感じた親の温もりって、忘れねぇもんだよ。俺は今でも、父ちゃんが風呂に入れてくれたことや、どんな悪さをしても母ちゃんが受け止めてくれたことを鮮明に覚えているんだ。その記憶って、大人になって心の支えになったりする。そこから親への感謝の気持ちが湧くんだよ。だからとにかく、子どもをたくさん抱きしめてやってほしいって、願ってるぞ!」

真壁刀義さん、愛と情熱にあふれる貴重なお話をありがとうございました。『子どもの夢応援企画』第9回は「医者」の予定です。お楽しみに!

「夢応援企画(将来なりたい職業紹介)」の記事一覧はこちら

真壁さんの「もう一つの顔」にも注目!

■前代未聞の原始人ユニット「ウンタカ!ドラドラ団」として異例のCDデビュー!

CDジャケット

2016年3月5日(土)より公開中の大ヒット映画『映画ドラえもん・新・のび太の日本誕生』のゲスト声優として登場している真壁さん。映画のスペシャル応援団として「ウンタカ!ドラドラ団」を結成し、ちょっとヘンテコな「ウンタカダンス」も披露しています。さらには映画の枠を超えて、ついにCDデビューも果たしました!

──「ウンタカ!ドラドラ団」としての真壁さんより
「片足で立ったり小刻みで動いたりしてちょっと難しい部分もあるけど、親子で一緒に踊れば絶対に楽しい時間になることは間違いないぜ!ダンスで、親子のコミュニケーション楽しんでくれよな!」

「ウンタカ!ドラドラ団」のちょっとヘンテコなウンタカダンスを楽しめるCDはDVDとのパッケージとなってユニバーサルミュージックより発売中。次世代のキッズソングとして新たな息吹をもたらす「ウンタカ!ドラドラ団」に引き続き注目です!

お話を聞いたのは…

  • 真壁刀義さん

    1972生まれ、神奈川県相模原市出身。大学卒業後の1996年2月に新日本プロレスへ入門。約1年の猛トレーニングを経て、1997年2月にプロデビュー。2009年8月にG1クライマックス初制覇、2010年5月にIWGPヘビー級チャンピオンになるなど、プロレス界を代表するトップレスラーとして活躍する傍ら、「スイーツ真壁」や「ウンタカ!ドラドラ団」として多方面で人気を集めている。

  • オフィシャルブログ「スイーツ真壁の甘ったれんじゃねぇ!」

ライター紹介

佐藤葉月

宮城県生まれ。タウン誌の記者、ブライダル雑誌の編集者を経てフリーランスに。東京オリンピックを含め、子どもたちに夢を与えるスポーツ関連の記事を書くことが目標。月に1回はライブを見に行く音楽好き。海外一人旅にはまり、アジア圏制覇を目論んでいる。

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