ふだんなにげなく迎えている年中行事。まもなく2月3日、「節分」がやってきますが、本来の意味や理由をご存知でしょうか? 家族そろって健康で無事に一年を過ごせるよう、豆に隠された力や節分の「豆まき」の由来などをお伝えしていきます。

ふだんなにげなく迎えている年中行事も、意味がわかればよりいっそう楽しめるかもしれません。そこで、節分について気になるならわしを、ベストセラーの著書『日本人のしきたり−正月行事、大安吉日、厄年…に込められた知恵と心』(青春出版社)などを手がけている、歴史学者の飯倉晴武先生に伺いました。
そもそも「節分」とは何だろう?
「四季を分ける立春・立夏・立秋・立冬、それぞれの前日をいいます。そのうち四季を基準に考える上で、一年の始まりでもある立春の前日が古くから重視されていました。そのため、みなさんもよく使われる節分というのは、多くは立春と組み合わせた日とされてきたのです」
立春の由来は、飛鳥時代に中国から伝えられた「二十四節気」にあります。節分を大きな区切りとして、さらに細かく1年を24等分にしたこよみの読み方です。そのうち一年のはじまりとされるのが立春で、そこから立夏の前日までが「春」とされています。
節分の豆まきの由来って何?

「旧暦では立春近くの新月となる日が元旦となるため、新年や新春を迎えるための行事が前後に行われてきました。そのなかで年頭にあたり、旧年の邪気や悪鬼を追い払う行事として親しまれてきたのが『豆まき』です。地域によっては『豆うち』とも呼ばれ、鬼に豆を打って追い払うという意味があります」
【参照】鬼退治の三種の神器は「豆・いわし・柊(ヒイラギ)」生命の源である豆は子孫繁栄の象徴
「豆はもともと種であり生命の源です。畑にまかれた豆は、それ自身が食べものとなり種となり、時代を超えてまた生命を繰り返し宿し続ける。そのため、子孫繁栄を願う上で力のあるものとされてきました。なお、炒った豆は『福豆』とも呼ばれています」
一般的に節分の豆まきで使われるのは大豆ですが、そもそも日本では「米」「麦」「粟(あわ)」「稗(ひえ)」「豆(大豆)」を「五穀」として尊重する文化がありました。なかでも大豆は、子孫繁栄などの力があると古くから親しまれてきたそうです。
年の数だけ豆を食べるのはなぜ?
「旧年から新年を迎える上での行事というのは、先ほどもお話したとおりです。その上で、旧年を無事に過ごせたことへの感謝をあらわすために年齢の数だけ食べます。さらに、新年を何ごともなく無事に過ごせるよう祈願することから、さらにもう一つ加えて食べるというのがならわしです」
子孫繁栄の力があるとされる豆は、健康で長生きするためのものでもあります。そのため、神様へ「お世話になりました」という感謝を伝えるとともに、「今年一年も何ごともなく無事に過ごせるようお願いします」と思いを伝えながら食べるのが本来の意味といえそうです。
意外と知らない豆まきのルーツ
「古くは旧暦でいう大晦日の夜に、鬼を追い払う『追儺(ついな)』と呼ばれる行事がありました。やがて一般にも広く知れ渡るようになるとともに、現在みられる節分の形へと変わっていったとされています。みなさんにもなじみある『鬼は外、福は内』の掛け声とともに、豆をまくという行事ですね。
豆まきは本来『厄年にあたる年男』が務めるといわれますが、家に年男がいない場合には、家長かそれに代わるひとが行えばよいでしょう。現代では、お子さんやお母さんたちもみんな一緒に楽しむのが一般的ですね。
そして、古くは鬼門にまくのが正しいとされていましたが方角には諸説あり、また、現代の民家は部屋も様々あるかと思われます。そのため、通り道である玄関や勝手口などから、各部屋へ順番に少しずつまくのがふさわしいと思います」
追儺とは、平安時代に宮中で行われていた行事です。旧年の邪気を払い新年をこころよく迎えるという貴族たちの行事でしたが、やがて一般大衆にも広まる中で、現代のような豆まきに変化していったようです。
さて、知っているようで知らない「節分」の豆知識はいかがだったでしょうか。本来の意味を理解すると、豆を食べたり、豆をまいたりする気持ちも変わってくるかもしれませんね。お子さんといっしょに、家族全員の健康と無事を祈ってぜひとも楽しんで下さい!