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池谷幸雄さんに聞く!体操競技のやりがい&観戦ポイント

掲載日: 2016年8月4日更新日: 2016年8月4日佐藤葉月

8月5日から8月21日まで開催される「リオ五輪」。世界トップレベルのアスリートたちの姿を見ることで、子どもたちのスポーツへの関心を深めることができそうです。そこで五輪開幕を前に、五輪出場者の方に選手時代のお話と、「リオ五輪」の見どころを伺いました。今回は、ソウルとバルセロナの2度の五輪出場経験がある、池谷幸雄さんです。

体操を続けたら、仮面ライダーになれる…!?

池谷さんが体操を始めたのは、4歳のとき。

「当時、僕は体を動かしていないときはないくらい、ものすごくやんちゃな子どもで。だから、母はスポーツでそれをどうにか発散させないと、と思ったみたいです。でも、体操選手になってほしいというよりは、体操で体の基礎を作って、プロ野球選手かプロゴルファー、競輪か競馬の選手になってほしかったようですね。」

お母さんに連れられて体操教室へ見学に行った池谷さんは、こんなことを思ったそう。

「『仮面ライダーの学校だ!ここで体操を頑張れば、仮面ライダーになれるんだ!』でも、下手くそ止まりだったら、ショッカーにしかなれないって(笑)。だから、一生懸命練習に取り組んだんです。」


ロサンゼルス五輪を見て意識。「僕は体操で生きていく」

次第に体操にのめり込んでいった池谷さんは、小学校3年生で体操教室の中でも選ばれた子しか入れない選手育成コースに上がります。

「それまでは、水泳、ピアノ、英会話、絵画といろんな習い事をしていたのですが、これをきっかけに、体操1本に絞ることを決めました。そこから、仮面ライダーになるという夢が、体操の日本代表として五輪に行くという夢に変わったんです。ただ、その時は五輪ってどんなものか全然知らなくて。みんながすごい大会だと言っているから目指していただけでした。」

漠然としていた五輪への思い。しかしそれが、中学2年生の時にロサンゼルス五輪を見たことでより強いものになります。

「『うわぁ、すごい!五輪の舞台に立ちたい!』と思いましたね。でもその時は、まさか自分が次のソウル五輪に出られるなんて考えてもみませんでした。」

親友と共に手にしたソウル五輪への切符

五輪への思いが高まったものの、まだ具体的ではなかった出場の道。しかし、高校1年生の冬、インターハイで優勝したことがきっかけでチームメイトの西川さんと共に「本格的に五輪を目指そう」と監督から声をかけられたそう。

「でも、当時は五輪に高校生が出るなんてもってのほか。高校生のレベルと、大学生・社会人のレベルとは全く違いました。だから、まずはそのレベルに到達するために、日本体育大学の近くにアパートを借りて、監督と西川くんとそこに泊まり、大学生に交じって練習をすることになりました。2年生の途中からは、ほとんど学校に行かずに練習漬けの生活でしたね。」

練習はもちろん厳しいものでしたが、池谷さんはこう話します。

厳しいのは当たり前。五輪に絶対行くと決めていましたから、命がなくならない限りはやれる、と。ケガをしたときも体操をやめようなんて考えは一切ありませんでした。」

その練習の成果は、結果として実を結びました。大学生や社会人も出場する、日本で一番大きな大会である全日本選手権の個人総合の部で、第3位に輝いたのです。

「これは五輪に行けるんじゃないか?と、その時初めて五輪出場という目標がリアルに見えてきたんです。」

そして迎えた五輪予選の結果は第2位。チームメイトの西川さんは1位に輝き、見事、親友と共に五輪への切符を手に入れました

「高校生が大人だけの世界に入っていくことはやっぱり心細い。だけど、僕には西川くんというチームメイトがいつも近くにいました。彼とは試合では順位を争っていましたが、ライバルという意識はなく、仲間、親友という存在。彼の存在なしでは、頑張れなかったかもしれませんね。」


若さゆえに思い切れたソウル。重圧を感じたバルセロナ

初めて出場したソウル五輪は、池谷さんにとって初めての世界大会でもありました。
「選手村ってどんなところだろう?とか、わくわくドキドキ、旅行気分でミーハーな気持ちの方が強かったですね。」

怖いものなしで臨めたからこそ、演技は大成功。池谷さんは、団体と個人の床で銅メダルを獲得しました

「この時感じたことは、メダルを獲るか獲らないかで世界がまるで違うということ。選手団が空港に帰ってくると、メダリストはこちらで記者会見、そうじゃない人はさようなら…と。世間からの注目度も違いますよね。」

そうしてソウル五輪でメダルの重みを思い知った後、4年後に臨んだバルセロナ五輪はプレッシャーとの戦いだったそう。

「中高生時代はトレーナーも付いていないし、体のケアは自分でしなくてはならなくて。これまで酷使してきた体に、いろんな故障が出てしまったんです。でも金メダルを獲ってこいという雰囲気を肌で感じていたし、満足な練習ができないような状態だったけれど、やるしかなかった。」

ベストではないコンディション、大きなプレッシャーという状況の中、池谷さんは団体で銅メダル、個人の床では前大会を上回る銀メダルを獲得したのです。


毎日が手に汗握る試合!「リオ五輪」の見どころ

そんな体操のスペシャリスト、池谷さんにリオ五輪の見どころを聞いてみました。

体操競技は、いろいろな種目が見られるのがおもしろい。種目によって使う筋肉も違うし、技の豪快さや美しさも違います。ただ、すべての種目に共通しているのは、着地と演技の美しさ。日本選手の着地と演技の美しさにぜひ注目してほしいです。また、一発勝負のおもしろさも魅力です。本番のたった1回の演技に、これまで積み重ねてきた練習の成果を発揮する選手の集中力、精神力も感じ取ってほしいですね。」

内村航平選手と、白井健三選手は、金メダルを獲る可能性が非常に高い。特に白井選手は、床では彼ほどのレベルで演技ができる選手は世界中、他にはいないと言っていいほど群を抜いた実力を持っています。個人戦はこの二人に大注目です。」

「個人のミスが許されない、団体戦も手に汗握る展開になるはず! おそらく日本チームと中国チームの金メダル争いになると思いますが、アメリカやイギリスも実力は十分。油断はできません。」

体操競技は、開会式の翌日の8月7日からもう予選が始まります。

「日本とリオの時差は12時間。体操のように人気のある競技は現地時間のゴールデンタイム、夕方4時ごろから始まることが多いので、日本だと朝の4時ごろの予定でしょう。夏休みですから、子どもたちには毎朝早起きして見てほしいですね!」

経験は自信に変わる。失敗を恐れずチャレンジ!

池谷さんは、引退後にタレント活動を行うかたわら、子どもを対象にした体操教室を開きます。その背景には、こんな思いがあったそうです。

「自分たちがメダルを獲ったバルセロナ五輪後、2大会連続で日本は体操競技でメダルを獲得できませんでした。選手層の底上げをして、五輪で活躍できる選手を育てて体操界に貢献したいという気持ちが生まれたんです。」

また、「当時は少年犯罪が多発していました。それを見て、子どもは体を動かすことでストレスを発散して伸び伸びと育たなくては、と思いました。」

今や、全国16カ所に教室があり、約1300人の子どもたちが体操の魅力に触れています。

子どもたちに必ず伝えているのは、人の話をきちんと聞くこと、返事や挨拶をしっかりすることの大切さです。ちゃんと先生の話を聞かないと、正しく動くことができずにケガをしてしまいます。だから話を聞くことが大切なんだよって話しています。練習内容についても同様で、何でも理由まで丁寧に伝えることを徹底しています。」

体操の技はもちろん、礼儀作法など人間として大切なことも学べる体操教室。五輪をきっかけに体操に興味を持ったなら、ぜひ参加してみては?「池谷幸雄体操倶楽部」では、1日体験教室や、春・夏・冬休みの短期教室もあるそうです!

池谷幸雄体操倶楽部

お話を聞いたのは…

  • 池谷幸雄さん

    1970年生まれ、東京都府中市出身。清風中学校、清風高等学校、日本体育大学卒。ソウル五輪で、団体・個人床で銅メダル獲得。バルセロナ五輪では団体で銅メダル、個人床で銀メダル獲得。平成13年『池谷幸雄体操倶楽部』設立。テレビ、ドラマ、舞台、キャスター、体操コメンテーターなど、幅広い分野で活躍中。

  • 池谷幸雄オフィシャルブログ

ライター紹介

佐藤葉月

宮城県生まれ。タウン誌の記者、ブライダル雑誌の編集者を経てフリーランスに。東京オリンピックを含め、子どもたちに夢を与えるスポーツ関連の記事を書くことが目標。月に1回はライブを見に行く音楽好き。海外一人旅にはまり、アジア圏制覇を目論んでいる。

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